腹腔鏡下肝切除術の沿革
低侵襲性手術として1993年に腹腔鏡下肝切除が施行されたが、当時を振り返りその普及にはほど遠い年代であった1。 2007年に腹腔鏡下肝切除の普及を推進するべく肝臓内視鏡外科研究会が発足され、腹腔鏡下肝切徐を導入する施設ならびに症例数は着実に増加した2。
1.2010年の保険収載後
肝部分切除、外側区域切除が2010年保険収載され、腹腔鏡下肝切徐の症例数が急激に増えた。その対象となる適応疾患は、原発性肝癌と転移性肝癌がほとんどであるが、なかでも大腸癌肝転移の占める割合が増加してきた。これは、大腸癌肝転移に対する手術治療は肝部分切除にて腫瘍学的な目的が達成されることが多く、相応な術式としての腹腔鏡下肝切除の増加を反映したものと考えられた。そして、近年では、開腹術と腹腔鏡手術の比較において低侵襲そのものを強調するより、術後合併症軽減や非劣性の長期予後の成績も報告されてきた。
多くの meta-analysis の結果が報告され、出血量や合併症は少なく、術後の回復が早く、在院日数も短縮され、長期予後に関しても5年生存率、無再発生存とも開腹肝切除と差はないと いうのがほとんどであった34。しかしながら、そのエビデンスレベルは未だ低かった。
一方で腹腔鏡下肝切除では通常の開腹手術に比べ難易度は高く、その手技の習得により多くの時間を要する。症例ごとに外科医自身の手術技量を考慮して、より慎重に適応を検討することも重要であると認識された。そして、近年では腹腔鏡下肝切除手技の難度を腫瘍の位置や切除術式、腫瘍径、主要脈管との関係、肝機能の5項目からスコア化し、術者の経験に応じた症例を選択する評価方法が提案されその有効性が示された56。
2.肝臓内視鏡外科研究会ハンズオンセミナー
腹腔鏡下肝切除がHigh Volume Centerを中心に普及する中で、腹腔鏡下肝切除術を習得するためのトレーニングとそのシステム構築の必要性は急務であるとされていた。その安全な普及を目指した活動の一環として、日本内視鏡外科学会の後援のもと2009年より肝臓内視鏡外科研究会ハンズオンセミナーがスタートした7。 2日間にわたって系統的かつ技術的な講義とともに、本術式を安全に施行するための実技講習が行われており、これまでに29回、延べ800名あまりの受講者を数えている。このような組織的なトレーニングが定期的かつ持続的に試みられているのは知る限り本邦のみであると認識している。そして、当初受講された外科医が、現在エクスパートとして活躍されているのはうれしい限りである。
3.肝臓内視鏡外科技術認定制度
2004年より日本内視鏡外科学会では内視鏡外科手術に対する技術認定制度を導入した。これはProfessional Autonomyに基づく制度であるが、保険適用術式となった肝切除術もその対象となり、2012年度より施行されている8。 対象術式は肝内脈管の処理を伴う完全腹腔鏡下肝部分切除術とされ、その基本的手技が未編集ビデオによって評価される。超音波による腫瘍の同定と切離線の同定、肝実質切離における術野展開、手術器具の選択と使用、出血制御、脈管の露出と切離、そしてサージカルマージンの確保、検体の摘出などが評価項目となっている。また、肝の頭背側領域での切除や肝障害を伴う症例は難易度が高いものとして加点評価の対象となっている。
いかなる手術も、適切な症例・術式の選択のうえで、周到な準備と基本手技の確実な遂行の上に成り立つといえるが、本認定制度で示されている事柄は安全に腹腔鏡下肝切除を行うための指標であると考えられる。腹腔鏡下肝切除術の技術認定制度自体も本邦でのみ行われているものであり、前述のトレーニングと相まって本邦独自のシステムとしての発信が期待される。
4.腹腔鏡下肝切除の黎明期
このように安全性を担保するための手術手技習得への配慮を行ってきたが、2014年に肝臓がんの無理な腹腔鏡下手術への適応拡大から不幸な結果を招いた事例が倫理上の管理面も含めて大きな社会問題となり、一部報道では術式自体を否定するような記事も見られた。しかし、National Clinical Database、および日本肝胆膵外科学会での手術実績の多い施設を対象にした肝臓や膵臓などの腹腔鏡下手術の緊急実態調査では術後の死亡率は、腹腔鏡手術が開腹手術に比べ高いものではなかった。また、原発性肝癌及び転移性肝癌症例の propensity score-matched analysis による多施設共同肝胆膵外科学会内視鏡プロジェクト研究でも、開腹手術に比べ出血量は少なく回復も早く、原発性肝癌では術後合併症も少ないうえ原発性肝癌及び転移性肝癌症の両者とも腫瘍学的予後に大きな差はなかった910。
おそらく腹腔鏡肝切除術は手技上操作制限のあるものの気腹の影響や拡大視効果などにより開腹手術に比べ出血量は少ないと考えられた。さらに原発性肝癌での腹腔鏡下肝切除群の有意な術後合併症率の低値は慢性肝炎や肝硬変症例に対して小さい傷や少ない授動などの手術操作が影響したものと推察された11。
5.術前前向き登録制度の発足と2016年度保険収載
2014年以後腹腔鏡下肝切除術に対する社会の厳しい評価や、患者や国民に与えた誤解や不安を払拭することは急務であった。そこで2015年10月より肝臓内視鏡外科研究会では腹腔鏡下肝切除術の全症例の術前前向き登録制度を開始した。そして、患者への安全性を担保し、新しい術式に対する社会への透明性を上げ、公正で幅広いデータを蓄積し、術式に対する理解を深めてもらうことで、腹腔鏡下肝切除の正しい評価と安心・安全な普及を目的に開始した制度である。
この登録制度の取り組みや多施設共同腹腔鏡下肝切除術の良好な結果もあり、2016年4月には、肝亜区域切除術、区域切除術、肝切除術のすべての術式が保険収載されることになった。ただし、ここには疑義解釈があり、肝臓内視鏡外科研究会とNCD(National Clinical Database)の両者で亜区域切除以上の術前前向き登録をすることが義務付けられた。
肝臓内視鏡外科研究会の前向き症例登録制度は全症例を対象に、手術前、手術後、退院時、再入院時に予定術式、術後経過を登録することで術式の安全性や重篤な有害事象などの共有が可能となった。肝臓内視鏡外科研究会のレジストリーの経過は必ずモニタリングして報告することになっており、その進捗状況が約半年ごとにホームページ上で公開・更新されている12。
2018年まで、登録施設341施設から9372例の腹腔鏡下肝切除症例の前向き登録が行われている。月平均で約300例前後が行われていることがわかる。(表1) 術式であるが従来から保険収載されていた肝部分切除、外側区域切除が78%を占め、(表2) 亜区域切除、区域切除、葉切除は22%であった。全術式における30日死亡率は0.10%(8/7543)、90日死亡率は0.23%(17/7543)である。また、新たに今回保険収載された術式のみでの30日死亡率は0.24%(4/1702)、90日死亡率は0.65%(11/1702)となっている。(表3) いずれも低い死亡率であり、安全に腹腔鏡下肝切除が行われたと考えている。現在最終段階のデータークリーニングやAuditなどを行っており、合併症などを含むより詳細な分析をして報告する予定である。
この肝臓内視鏡外科研究会の前向き登録は2018年9月までの手術症例登録で終了され、その後はNCD登録に一本化された。この9000例を超える前向き登録は本術式の安全な普及に大きく貢献したものと考えている。おそらく近いうちに保険収載の付帯条件となっていた前述の疑義解釈も取り除かれ、通常の開腹手術と同等の保険収載になるものと推察している。
6.おわりに
新しい手術手技である腹腔鏡下肝切除の導入と検証にはこのように紆余曲折はあったが、患者さんに低侵襲という大きなメリットを寄与できると信じてここまできた。肝腫瘍に対する標準術式の1つなる日も近いと期待している13。今後も肝臓領域では内視鏡下手術機種のさらなる改良や画像の進展とともに手術手技の向上は続くうえ、ロボット手術も導入され本領域はさらに発展して行くものと信じている。
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